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事務職から未経験でプログラマーへ。触手を売るロック文化マニアの創作秘話(後編)




『触手を売る店』の開発者で、生粋のロック文化マニアでもあるAchamothさんにお話を伺うインタビューの後編。今回はAchamothさんがゲーム開発を始める以前の、よりパーソナルな創作の源泉に迫っていきたいと思います。(前編はこちら

 

 


――ご趣味を教えてください。ただし、「残りHP100のときに打ち込む趣味」「残りHP50のときに楽しむ趣味」「残りHP1のときにする趣味」に分けて教えてください。


Achamothさん:

HPが1のときはTwitter(現・X)しかできなかったりしますけど、それは置いといて。そうだなあ、まず旅が好きなんですよね。ドライブもそうだし、知らない土地に行って何か見るみたいなのが好きで。でもそれってHPいくつのときに行くんだろう? あ、いつでも絶対できるのは「酒」ですね。お酒が好きで。特に日本酒とかウイスキーとかが好きです。お酒を飲む機会があったらいつでも誘ってほしいです。これは本当にHP関係なくできるから、HP1のときでも行ける気がします。HP1のときは「酒を飲む」。



 

――宅飲み派ですか、外飲み派ですか。


Achamothさん:

宅飲みもするけど、安い酒は飲まないですね。基本食事に合わせて飲むので、家で飲むなら夕食と一緒に日本酒やビールを飲むとか。家族と話しながらとか、映画を観ながらって感じでやりますね。


――旅先でも地酒を飲まれますか。


Achamothさん:

運転しないなら絶対飲みます。電車なら絶対飲むし、その夜泊まるよっていったら絶対飲むし。この間も温泉旅行に行きましたけど、旅館で飲みましたね。日光で雪がめっちゃ降ってたので雪を見ながら飲みました。よかったですね。


――それは羨ましいですね。HP50のときと100のときはいかがですか。


Achamothさん:

家にいるときはどっちかしかやらないんですよ。すなわちゲームを作ったり絵を描いたりして創作するか、もしくは本を読んだりゲームを遊んだりしてインプットするか。でも意外とインプットの腰が重くて、HPが100ないとやらないかもしれないですね。体力がないときにフワッて見て「あ~」ってなるのは嫌だから、ちゃんと体調がいいときに気合入れて見ようって思ってます。好きなものほど万全を期して見ようってなっちゃいますね。意外とインプットの方がHP100あるときにやる趣味かもしれません。


創作はHPが少なくても、少ないなら少ないなりのやり方ができると思います。「今日はHP少ないから設定だけ書くか」とか「元気だからコードバリバリ書いちゃうぞ」とかいう感じで。体力に合わせたやり方が選べるような感じがしますね。



ゲーム開発より大きな“挫折”


――Achamothさんの作品はシナリオの緩急が巧みで、かつキャラクターも個性的です。創作をするときは、シナリオ・キャラクター・世界観・システム……など、どの要素をどの順番で作っていますか。


Achamothさん:

まず「〇〇が××する話」というシナリオがパッと出てくるのですが、「ゲームにしよう」というときはそれに付随してシステムも思い浮かばないと、思い浮かんだだけでお蔵入りになりますね。ゲームとして形にできるときは、シナリオとシステムが表裏一体で思いついたときに「あっ、これは作れる」ってなります。


――システムを組み入れて初めてシナリオが作っていけるんですね。


Achamothさん:

キャラクターなどはそれらがクリアできてから掘っていくみたいな感じですね。どういう人がここにいるのかな、という感じで。で、世界観もついてくるみたいな。


――キャラクターの掘り下げはどのようにされていますか。


Achamothさん:

シナリオ・システムがハマってよし作るぞってなったら「こういう役割の人が必要だよね」と考えます。そのときどういう人がここにいたら面白いかなあとか、人間関係とかを考えます。キャラクターについては本当に、頭の中で何回も対話をして掘っていくって感じですね。キャラクターが先にいて.......っていう作り方でうまくいったことは、自分はまずないですね。シナリオがまずあります。




――シナリオを俯瞰してキャラクターを設計していくイメージでしょうか。


Achamothさん:

なるべくキャラクターを「キャラクター」という型にはめないで「人間」として描きたいなっていうのは思っていて。メインのキャラクターであればあるほど、生まれてから今までに何があったのかっていうのを、キャラクターと対話を重ねて積み上げて設定を書いてたりします。その設定にもとづいて「こういう考え方・こういう喋り方や所作をする」という風にしています。


その世界で生活している人たちの人生の一部を、なるべく正確にすくいとって描写したいという感覚ですね。「キャラクターはすでにその世界に住んで生活しているから、私のものではない」みたいな。キャラクターとなるべく対話して、私がその性格を知っていかないとなあ、という感覚はありますね。上手くハマらないときは「対話が足りないな、私はこいつのことをよく分かってないのかもしれない。そもそも実はこいつはここにはいなくて、別の奴がいたのかもしれない」と思って考え直したりとか。


――何度もキャラクターに対する思考を積み重ねることで人物像を掘り下げていくんですね。


Achamothさん:

あと自分の作品は「文化史の学会発表」のような部分が強くあるので、キャラクターは文化史1つ1つの擬人化でもありますね。特にロック三部作はそれがすごく強いんですけど。文化の1つ1つのステレオタイプを超研究しつつキャラクターに反映して、たとえば「モッズ」ってこういう子だよねとか、「パンクス」ってこういう子だよねって。でもモッズもパンクスも見た目は荒々しくて反抗的だけど、「どうしてこの子はモッズとかパンクスのような不良の文化に憧れて着飾るようになったのかなあ」って考えると、やっぱりその子の人生について考えたりしていますね。最後はそれでキャラクターの人生を思い、対話するっていうのをやっています。




――Achamothさんの作品がもつ奥行きの秘密が垣間見えた気がします。ところでロック文化に目覚める前はどんな一次創作をしていましたか。


Achamothさん:

幼少期のころから振り返ると、自由帳に女の子の落書きをしていたところから始まりますね。お姫様を描いていたり。小さいころから絵を描くのが好きな女の子だったんです。そして小学生くらいにRPGで遊び始めた時、「キャラクターっていいなあ」って思ったんです。


――そこで、RPGの二次創作を始めたんですか。


Achamothさん:

いや、それが面白いことに二次創作じゃなくて、最初からオリジナルのキャラクターを作って遊び始めたんですよね。魔法使いや戦士を作ってお話を作って、ということをしていました。小学生のとき自由帳に「ぼくのマンガ」とか描いたりするじゃないですか。ああいうのをやってましたね。なので物心がついたときから、二次創作じゃなくてもう一次創作をやっていた感じで。


で、私の年代だとインターネットがまだなくて、描いた絵を発表できる場所っていうのが学校の友達に見せるか、さもなければ地元の同人イベントに参加するぐらいしかなくて。でもさすがに同人イベントにオリジナルで出る気はなかったんです。中学生ぐらいのときは好きなゲームの二次創作をしてイベントに出してみたりとかしてましたね。


――なるほど、イベントが主な活動場所だったということですか。


Achamothさん:

あ、思い出した! それ以上に「コミックテクノ」ですよ。当時、描いた絵を投稿できる雑誌があったんです。私はコミックテクノ派だったんですけど、有名なのは「ファンロード」でしたね。ファンロードは二次創作のお姉さん方御用達、オリジナルだったらコミックテクノの方が強いって感じ。雑誌時代を今思い出しました。そっちはオリジナルの絵をハガキで描いて、ペン入れしたりトーン貼ったりして。本格的なお絵描きはアナログのつけペンから始めて、延々と雑誌に投稿していました。


で、高校生ぐらいのときにやっとインターネットが家に来て。「インターネットでサイトを作って絵を発表できるぞ」となって、HTML(※18)でポチポチして自分でサーバー借りて、FFFTPで上げる世代ですよ。自分だけの城を作って、そこでオリジナルの絵を上げたりしていました。そのときにはもうバンギャだったので、好きなバンドのメンバーの絵や、好きな曲のイメージイラストなんか描いちゃったりして。「何か作る」ってことはずっと「遊び」で楽しいことだったんですよね。ずっとその延長線上でやっていました。


(※18)「HTML」

HyperText Markup Language(ハイパーテキストマークアップランゲージ)の略。WEBページを作成するために用いられる言語。


Achamothさん:

あとやったのはあれだな、pixiv企画(※19)。「pixivファンタジア」(※20)があったじゃないですか。あれが流行ったときにいろんなpixiv企画がいっぱい立ち上がったときがあって。そのときにキャラクター作って参加して、なんかもやりましたね。


(※19)「pixiv企画」

ユーザー企画とも。イラスト投稿サイトpixiv上でおこなわれるイベント。企画主となるユーザーがベースとなる絵やテーマを設定し、それにもとづいて他のユーザーも絵を投稿する。発展例としては、企画主が提示した共通の世界観設定をもとに参加者がそれぞれオリジナルキャラクターを投稿し、キャラクター同士の交流を描くといったかたちもとられる。


(※20)「pixivファンタジア」

pixiv企画の代表的な一例。投稿者は複数のグループ(国)に分かれてファンタジーイラストを投稿し、参加作品の閲覧数によって国同士のバトルの勝敗が決定する。2008年、pixiv投稿者arohaJ氏によって第1回が実施された。




Achamothさん:

でもここで初めて大きな挫折を味わいまして。すっごく楽しく遊んでたんですけど、人間関係で大モメしたんですよ。最後、自分のアカウントを消すところまでいきました。正直あれ以上の挫折はないくらい心ボッキボキになって。pixivにはちょっと苦い思い出があります。


――ゲーム開発でいろいろな苦労を経てなお、それ以上の挫折はないんですか。


Achamothさん:

あれが一番きつかったですね。ボロ泣きした記憶がありますよ(笑) それが20代前半です。「若いときの挫折」っていうのがもしあるなら完全にこの一件みたいな感じですね。若気の至りって感じで「自分も怒りすぎて変なことをしちゃったな」とか。もっと冷静に「本当に大切だったものを見失っちゃったな」とか。人間関係でモメて、描きたかったものが描けなくなるなんて初めて経験して。それまでずっと気楽に遊んでいたのに、「作りたいものが自分の腕以外の理由で作れなくなるってことが、この世にはあるんだ」と思いました。


今なんかはSNSの時代ですから、そんなことがpixiv企画の時代よりも100倍、1000倍はあるじゃないですか、きっと。あのpixiv企画のときにそれを味わっておいて今はよかったなって思います。予防接種だったなって。ものを作って発表していくと、「誰かに見てもらう」というそのことが尊いのに、やれ数字とか神絵師と仲がいいかどうかとか。本来ならものを作るうえで関係ないはずのことについて「グギギ」ってなっちゃうことがありますよね。そういうしがらみを当時味わって、挫折して「そういうことにこだわっちゃうとよくないんだな」って思って。


そのときの気持ちが今のゲームを作るときの立ち回りというか、「ゲームをともかく真摯に作り続けよう」っていう根源にあるかもしれません。若い時にいちど痛い目を見ておくべきだな、みたいな。




――苦い思い出も糧になっているわけですね。


Achamothさん:

その後に「PBW(プレイ・バイ・ウェブ)」のマスターをやりましたね。PBWというのは、企業が主導しているブラウザゲームです。プレイヤーはお金を払って、参加している絵師に自分のオリジナルキャラクターを描いてもらいます。そして進行中のお話にキャラクターを登録すると、PBWマスターがそのキャラクターを使った小説を書いてくれる、という感じですね。それでキャラクターにはステータスがあるから、PBWマスターはそのステータスを見て「このキャラクターはこんな行動をして成功した/失敗した」というのを小説調に面白おかしく書くんです。株式会社トミーウォーカーの『シルバーレイン』などが有名ですね。


私は大手じゃなくてちょっと小さいところで活動してたんですけど、そのなかではかなり好評をいただいて。3年ぐらい続けて、最後はマスター優秀賞みたいなものを獲ったんですよ。そこまでやって満足して辞めました。やりきった。「これ以上ここでやることないな」って思って辞めたんです。シナリオを通算してすごい量書いたんですよ。ピーク時には週1~2本書き続けたこともありました。否応なしに「お金を頂いて文章を書く」っていうのをやり続けたから、お話を書く筋力が付いたような気がしますね。


――企業と契約してお話を書かれていたんですね。


Achamothさん:

そうですね。正社員としてではなく受注してシナリオを書いていました。企業が運営しているPBWのサービスにマスターとして登録していたんです。まだログが残っているので見られますね。76本書いたんだったな。これも20代半ばまでやっていました。思えばこのときから結構ロック音楽がモチーフの話を書いていたので、今のロック中心のゲームの作風の前身みたいなところがありますね。


――今に繋がっているんですね。ところで先ほど創作のプロセスを伺ったときシナリオを組んでからキャラクターと対話すると仰っていましたが、PBWではまた違いますか。


Achamothさん:

そうですね、自分で作るのと比べたら違いますね。まずみなさん「うちのこ」というか、そのキャラクターを第一に考えている方がそれぞれ1人ずつはいるという状況で。全員に見せ場を作り、かつキャラクター崩壊しないように、かつゲームとして成立するようにステータスを活かして、みたいなのはめちゃくちゃ大変でしたね。それもあってキャラクターを文章のなかで全員ちゃんと尖らせて書くっていうのはいい修行になりました。全員が誰かしらの持ちキャラで主人公ですからね。『触手を売る店』で群像劇を書ききったっていうのはやっぱり、このマスター経験があるからかもしれませんね。


――時代によってさまざまな創作をしてきたのが、すべて現在に繋がっているんですね。


Achamothさん:

そうですね。やっぱりゲーム開発って、何をどうやっても人生の経験したことすべてが活かせるような感じがして、そこも面白いですね。

 


バンギャは「旅情」


――バンギャ時代の思い出をお聞かせいただけますか。


Achamothさん:

お絵描きと二足の草鞋でやっていたから、本気の人に比べたらゆるい活動でした。「SOPHIA」(※21)というバンドが大好きで、そのバンドのライブには絶対に行くって感じでしたね。で、先ほど言った通り自分のサイトを作ったわけですけど、それがお絵描きサイトというだけじゃなくてSOPHIAのファン活動サイトでもあったんですよ。だから懐かしのBBSが設置されていました。ほかにも「あのライブ良かったね」みたいなのを大手のファンコミュニティサイトに書き込んで交流したりして。


(※21)「SOPHIA」

1995年にメジャーデビューした日本のヴィジュアル系ロックバンド。2013年に活動を休止したのち、2022年より活動を再開している。


Achamothさん:

で、やっぱりライブに「全通」とか。つまり同じツアーの公演全部に行くっていうのに憧れて。初めて東京に行ったのも、SOPHIAのライブに行くために日本武道館へ行ったときでしたね。2005年だったか、中学生だったはず。初めて東京行きの列車に乗って、乗り換えて九段下に行ってって感じです。そこから東京にも頻繁に通うようになって。で、バンギャなわけですからちょっと変わった服やメイクなんかにも興味が出てきて実際にやってみたりもして。思春期で味わう「初めて都会に行く」とか「オシャレな服装やメイクをする」とか、そういうことが全部バンドの応援活動に繋がってますね。


特徴的な活動が2つあって、1つはいい思い出かつ創作活動にも関わっていますね。SOPHIAのライブコンセプトに合わせてお話を書いて、ブログで連載したことがあります。最後のライブの日に「ブログのなかの登場人物もライブに行く」という。リアルタイム連動小説みたいなのを書いてました。やっぱり創作意欲の1つでもありましたね。思春期の女の子としての服とかメイクのきっかけでもあるし、創作意欲の根源でもあるし。


――バンギャ時代の活動はすごくポジティブな思い出なんですね。


一方でnoteにも書いたんですが、ちょっと嫌な思い出もありまして。SOPHIAのライブに通ううちに、アルバイト先の先輩と出会ったんです。彼女が元バンギャで「SOPHIAの若いころ、下積み時代を知ってるんだ」と言っていたんですね。そのとき私は友達のいないコミュ障だったから「そんなことを知ってる先輩と会えたのは運命だな!」「すごい先輩と会えちゃったな!」ってウキウキして。「私も下積みのミュージシャンと出会って、将来有名になるバンドと仲良くなれたらいいな」なんて夢見ちゃったんです。


そこでひと夏、SOPHIAみたいな大きなバンドじゃなくて、小さい地下ライブハウスで対バンをしているような走り出しのバンドを観に行っていました。ひと夏その追っかけなんかをやってみたんですけど。やっぱり人間関係で揉めまして。私はそういうことに全然興味がないのに、周りは恋愛関係とか嫉妬とかでドロドロしてるし「純粋に音楽や世界観を楽しみたいのに、違うな」って思って。「ちょっとこの夏でやめます」って言って、そこでの追っかけをやめた記憶があります。あれが一番強烈でしたね。


――それはまた濃密な体験をされましたね。


Achamothさん:

でもやっぱりそういう、若いうちに大冒険するきっかけになったのは全部バンドの追っかけだったなあと思います。ロック音楽はちょっと危ないこととか、不良っぽいことなんかも内包して全部「そういうこともあるよね」って許してくれるような懐の広さが好きですね。


というわけでバンギャ時代の活動はともかくライブですね。地下の小さいバンドから大きなフェスにも行ったし。遠征したときは名古屋とか岡山とかにも行ったし。ともかく10代のうちに遠い場所へ行くのは、全部バンドの追っかけが理由でした。だから、バンギャって「旅情」でもあるんです。バンギャと遠征は縁が切れませんからね。旅をする生き物です。


――土地を訪ねると、そこでのライブの記憶が蘇るんですね。


Achamothさん:

蘇りますね。仙台、名古屋、東京、大阪も行ったな。大きい都市には絶対にライブの思い出が残ってますね。ライブに行くっていう理由がなかったら訪れなかった土地がいっぱいあったなあって思います。


――そこまでライブに惹きつけられた理由は何だったのでしょうか。


Achamothさん:

私はもともと吃音症で、思春期のときはうまく喋れなかったんですよね。だから友達が全然できなかったんですけど、唯一誰かとコミュニケーションをとれるのがバンギャとしての活動でした。それは直接バンドの話をするってことじゃなくて。ライブに行ってライブに参加するのを「参戦」なんて言ってましたけど、参戦すること自体がコミュニケーションで。その瞬間だけは言葉が上手く喋れなくても「ここにいていいんだな」「誰かとコミュニケーションしてるんだな」っていう充足感があって、あれが本当に救いでしたね。ライブの場にいることそのものがコミュニケーションでした。実際誰とも喋らなくても、友達にならなくても「同じライブを今観ている」というそれだけで「誰かと繋がっているなあ」と感じて寂しさがなくなったんです。ライブがなかったら多分こんな明るい性格になれてませんでしたね。ありがとうロック!




正統派ファンタジーから京極堂まで


――ここまでさまざまな創作の遍歴を語っていただきました。改めて自分に影響を与えた作品を5つ挙げるとすれば何でしょうか。


Achamothさん:

これ難しいですよね、5つに絞るのが! まずやっぱりロックですよね。しかも作品っていうともう……1つのバンドにつき1作品で絞っても、それでもやっぱり5つ超えちゃうくらいいろんなバンドが好きで。まず一番大きな影響を受けたのがSOPHIAですね。私の世代はSOPHIAの黄金期より少し下の世代なんですけど。あと次はL'Arc〜en〜Cielもそうだし。ラルクのライブもよく行ったなあ。ラルクの方がネット上の友達は多いしね。


洋楽も好きで。洋楽のロックバンドだとKoЯn(※22)とかMARILYN MANSON(※23)とかですね。メタル寄りのバンドもよく聴いていて思い入れがあります。KoЯnもMARILYN MANSONも日本でやった単独ライブに行って、あれは自慢できる思い出になりました。それからゲームのモチーフに使ったバンドは思い入れがあるし、NIRVANA(※24)とかSEX PISTOLS(※25)とか時代を超えたレジェンドも外せませんね。


※22「KoЯn」

アメリカのメタルバンド。結成以来全世界で4,000万枚のアルバムを売り上げ、2つのグラミー賞を受賞している。ヘヴィロック/ニュー・メタルジャンルを確立した。


※23「MARILYN MANSON」

アメリカのヘヴィロックバンド。女優マリリン・モンローと殺人者チャールズ・マンソンからバンド名およびボーカル名を名乗っている。ボーカルのマンソンが受けた性的虐待の過去などを下敷きにした過激な作風で知られる。


※24「NIRVANA」

アメリカのロックバンド。オルタナティブロック、またはグランジの先駆者として知られている。


※25「SEX PISTOLS」

1970年代後半にロンドンで勃興した、パンク・カルチャーを代表するロックバンド。王室や政府、大手企業などを攻撃する反体制的な作風で旋風を起こした。




Achamothさん:

特にパンクやオルタナティブといったロック文化はインディーゲームの状況にもすごく被るところがあるんです。研究すればするほど「一人もしくはチーム開発で、会社に所属せずゲームを作ろう」という活動の根源的なエネルギーが、70年代や80年代からすでにロックで勃興していたんだなあと感じさせられますね。ということでまず「ロック音楽」で一つの作品とさせてください(笑)


――すでに反則気味な気なような……? 残りの4つについてはいかがでしょうか。


Achamothさん:

ゲームからもものすごく大きな影響を受けてます。どれか選ぶなら『聖剣伝説』シリーズ(※26)ですね。先ほど幼少期にゲームを遊んでそこからオリジナルの戦士や魔法使いを作ったというお話をしましたが、その発端となったのが『聖剣伝説3』(※27)なんですよ。「ファンタジーって素敵だな、自分でも描いてみたいな」って思ったきっかけになりました。また中学生のときに『聖剣伝説 Legend of Mana』(※28)っていう名作が出たんですけど、あれがすごいシナリオで。可愛らしい絵柄で「時代が移り変わるときに価値観も変わる瞬間」を描いているんですよね。そこで描かれたテーマが、今の自分の文化史や歴史好きに通じてる部分だなあって思います。


(※26)『聖剣伝説』シリーズ

スクウェア・エニックス(旧・スクウェア)から発売されるアクションRPGシリーズ。1991年に第1作目が発売され、世界累計出荷・ダウンロード販売本数が870万本以上を突破している。


(※27)『聖剣伝説3』

1995年にスクウェア(現・スクウェア・エニックス)からスーパーファミコン向けに発売されたアクションRPG。システムとしては、6人のキャラクターから選んだ主人公と仲間の組み合わせによって物語の展開が変わる「トライアングルストーリー」を特徴とする。


(※28)『聖剣伝説 Legend of Mana』

1999年にスクウェア(現・スクウェア・エニックス)からPlayStation向けに発売されたアクションRPGで、『聖剣伝説』シリーズ4作目。システムとしては、プレイヤーが「アーティファクト」と呼ばれる工芸品を地図上に置くと町や森、人々が現れ、新たなストーリーが動き出す「ランドメイク」システムを特徴とする。2021年にHDリマスター版が発売された。


HDリマスター版『聖剣伝説 Legend of Mana』


Achamothさん:

『聖剣伝説 Legend of Mana』と同時期に『サガ フロンティア2』(※29)ってゲームもあって。これも一大歴史叙事詩で、100年くらいかけてファンタジー世界の歴史を追っていくんです。歴史の表で王様たちが争っている一方で、1人の冒険家の一生を描くんですけど、途中で全然関係ない王様の話と冒険家の話が交わったりするんですよ。あれもすごく歴史ロマンの原点にありますね。というわけで2つ目は「スクウェア・エニックスのゲーム」です。


(※29)『サガ フロンティア2』

1999年にスクウェア(現・スクウェア・エニックス)からPlayStation向けに発売されたRPG。ひとつの歴史をさまざまな角度から体験する構築型フリーシナリオにより、プレイヤーが100年の歴史を紐解く。


――またしてもちょっぴりズルいような。でもこうしてお話を聞いていると、正統派ファンタジーRPGがAchamothさんの原点にあるんですね


Achamothさん:

そうですね。もちろん『ドラゴンクエスト』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズも遊んだし、正統派ファンタジーRPGばっかり遊んでました。ゲームと言ったらやっぱりこれだなあって感じがしますね。


ああ、ほかの3つはどうしようかな......最近気づいたのが小説の「京極堂」シリーズ(※30)です。去年の9月に17年ぶりの新刊が出たんですよ。「懐かしいなあ、ずっと読み返したいと思ってたし読み返すか」って読み返したら、いかに自分の人生に影響を与えていたかっていうのをすっごい思い出して。学校の外だとロック音楽とかライブで生きながらえてましたけど、学校にいるうちはそうもいかなくて。そこで唯一できる自己逃避が図書室で本を読むしかできなかったんです。で、京極夏彦のぶっとい小説がいっぱいあったから、ともかくそれを読んで休み時間をやり過ごしてたのを思い出して。かつ、うまく人とコミュニケーションがとれなくてつらい思春期だったけど、そういうことについても「京極堂」シリーズって書いてあるんですよね。


(※30)「京極堂」シリーズ

日本の作家、京極夏彦の小説シリーズ。「百鬼夜行」シリーズとも。古書肆「京極堂」の店主である中禅寺秋彦が「憑物落とし」を駆使し、謎に包まれた事件を解き明かすミステリー。シリーズは累計1000万部を突破している。





Achamothさん:

そういう心理状況に加えて、作中では宗教や民俗学を交えながら「今自分たちが常識だと思っていることが実は歴史上の一瞬でしかない」「ほんの50年くらいさかのぼるとその村の異なる文化があって、全然今と価値観が違う」っていうのが分かったりして。思春期の私は「今学校の一瞬でうまくいかなくても、それはそれで大丈夫なのかもしれないな」って勇気づけられたりして。小説そのものも面白かったし、モチーフとして書かれている内容にもちょっと勇気づけられた記憶がありますね。あと推理ものとか探偵ものとかを初めて夢中で読んだし。


今までスクウェア・エニックス作品のようなファンタジーな世界に浸っていたけど、そういうフィクショナルな存在が現実世界でどんな風に存在しているのか、みたいな。そういった対象は「京極堂」シリーズだと妖怪として描かれるわけですけど、なぜそういったファンタジーな存在が現実世界で生まれたのか、みたいな解説とかがあったりして。ファンタジーの世界から一歩抜け出て、現実世界でどうやってそういう存在を描くかという思考にも影響があるような感じがしますね。ファンタジーな世界しか知らなかったのを、橋渡ししてもっと広いいろんな作品を見る入口になったような感じがしますね。


――「京極堂」シリーズをきっかけに、より多くの作品に触れるきっかけになったんですね。残る2つはいかがでしょうか。


Achamothさん:

あと映画は欠かせないですね。欠かせないんだけれども1本の映画を選ぶとなると……うーん、何だろうなあ。なにか1本の映画が好きなんじゃなくて「映画そのもの」が好きみたいな感じです。映画っていう文化はロックよりさらに昔からあるエンタメで、かつ時代をものすごく反映しやすい。映画にも歴史があるんですよ。そこを含めて好きなんですよね。歴史を踏まえて観るのが面白いです。


――映画の文化や歴史そのものが好きであって、タイトルを1つ取り出すのが難しいわけですね。


Achamothさん:

そうですね。それでも何か1つ取り出せというなら……悩む。いろいろな時代の作品を観るんですよね。今悩んでるのはクエンティン・タランティーノ(※31)の映画か、スタンリー・キューブリック(※32)の『時計仕掛けのオレンジ』(※33)か。『シャイニング』(※34)もいいしなあ。……って感じで「映画」が好きです。


(※31)「クエンティン・タランティーノ」

アメリカの映画監督。1992年公開の『レザボア・ドッグス』で監督・脚本・出演の三役を務め、カンヌ国際映画祭に出品。続いて公開された監督2作目『パルプ・フィクション』はカンヌ国際映画祭・パルム・ドール(最優秀作品賞)、アカデミー賞脚本賞を獲得した。


(※32)「スタンリー・キューブリック」

アメリカの映画監督。1968年に発表した『2001年宇宙の旅』ではアカデミー賞の監督賞、脚本賞にノミネート、特殊視覚効果賞を受賞した。


(※33)『時計仕掛けのオレンジ』

同名の小説を原作とする、キューブリックが1971年に公開した映画。モラルを持たない残忍な男が洗脳によって模範市民に作りかえられ、再び元の姿に戻っていく姿を描くSF作品。


(※34)『シャイニング』

同名の小説を原作とする、キューブリックが1980年に公開した映画。いわくつきのホテルで起こる超常現象を描いたサイコロジカルホラー。


――もはや影響を与えた「作品」ではないですね。それでは最後の5つ目をお願いします。


Achamothさん:

あと1個はこれなのかな……いや、これかもしれない。『池袋ウエストゲートパーク』(※35)です。原作、ドラマどっちもですね。まずやっぱりドラマがめっちゃ世代で、すごく流行ってたんです。それで小説も読んで面白くて。


(※35)『池袋ウエストゲートパーク』

日本の小説家、石田衣良の連作短編小説集シリーズ。1998年に1作目『池袋ウエストゲートパーク』が刊行された。少年犯罪やネット犯罪、非正規雇用問題など社会の周縁に位置する人々を描く。2000年には宮藤官九郎の脚本でテレビドラマが放映された。


Achamothさん:

小説とドラマで全然違うんですよね。ドラマはクドカン(宮藤官九郎)のはっちゃけた若者の面白さが前面に出てて「めんどくせー」みたいな印象的な台詞が有名ですよね。キングがすっげー変なキャラで、窪塚イズムがすごかったけれども。一方で小説は意外とクールで、静かな感じで。それぞれ面白さがあって、ドラマの原作と全然違う感じも「池袋の『今』を描く」っていう小説がやりたいことを映像としてやるなら、確かにこうなるだろうなっていう納得感があります。小説版とドラマ版で確かに互いにリスペクトがあって、すごく絶妙なバランスの映像化なんですよね。


あの「めんどくせー」に代表される「若者が最後ブチ切れて何とかする」みたいな爆発力が本当に好きなんです。その原点って『池袋ウエストゲートパーク』だなあって思います。自分が作る作品も、最終的には「若者の爆発力で何とかする」というシチュエーションが多いんですよ。自分の作品の辿ってきた最後のピースを埋めるなら『池袋ウエストゲートパーク』だなって思います。はたまた「クドカンのあの感じ」。そこらへんが全部ごちゃ混ぜになって自分がある感じがします。5つ真面目に考えるってなると大変ですね。ほぼ作品じゃなくてジャンルだし(笑)


――無茶ぶりに答えていただきありがとうございました。ちなみに今は既存の作品について伺いましたが、もしこれから他の人が何でもAchamothさんの好きな作品を作ってくれるとしたら、どんな作品が見たいですか。


Achamothさん:

漫画は憧れますね。やっぱり絵を描くし、最初に絵を描いていたときはつけペンで描いてトーン貼ってたから、そりゃ漫画も描いてみたりしたわけですよ。でもついぞ納得ができる面白い漫画っていうのは描けなかったし、早々に挫折して。どっちかっていうとそれからは小説とかイラストの方に力を入れて、漫画は全然努力さえできなかった記憶があるから、Achamothのゲーム漫画化みたいなのは憧れですね。コミカライズ大募集中でございます。


――Achamothさんの絵で漫画を見てみたいという声もありそうです。


Achamothさん:

いやあ、漫画ってすごいですよね。あんなにたくさん絵を描くんだから描ききれないですよ。いろんな角度で、しかもコマ割りとか大きさとかで演出回して。ありゃすごいですよ描ける人は。漫画を描き切る体力は自分にはなかったですね。漫画を描ける人はすごいと思いと思います。




「文化の変遷」フェチ


――Achamothさんの作品を見ていると、ある時代の特定の文化にハマるのではなく、文化が歴史的に変遷していく「線」に執着があるように感じました。そのあたりにフェチズムがあれば教えてください。


Achamothさん:

いやあ、それを分かってくれるのは嬉しいですね。そうなんです。ロック音楽のパンクスとかモッズとかオルタナティブとか、ひとつひとつそこに関わるバンドやお洋服も素敵ですけど、それが移り変わっていくのがね、いいんですよね。特にロック文化は本当に変遷が追いやすくて面白いです。


そもそもロック文化って、ビートルズが出たときはやれ「悪魔の音楽」だ「不良の音楽」だって言われてたわけじゃないですか。でもやっぱり10年、20年経つと大衆化していくんですね。QUEENが活動するころになると、ラジオで大々的に流れたりするわけです。そうやって大衆化したときに、差別されてたものが「みんな好きになってよかったね、めでたしめでたし」で終わりそうなものを、そこで終わらないんですよ。


――そこからまた歴史の変転があるわけですか。


Achamothさん:

そう。大衆化したらしたで、そこで忘れ去られてしまった初期衝動があるわけです。ロックでいうなら「大人は分かってくれない」とか「権力が何だ」みたいな主張ですね。ロックが大衆化して一種の商品的な権力を持つに従って、その衝動が忘れ去られてしまう。というときにロックの場合、次の世代が直接「お前のロックは死んだ」って言ってくれるんですよ。


で、1970年代にパンクスが出てくると。で、パンクスがね。可愛いんですよ! 「お前らはロックじゃない、違う! 俺たちが今の若者の言葉だ!」って言ったらバーンと大ムーブメントになって、一気に有名になった結果大衆化して権力を持っちゃうわけです。そうしたら自己矛盾が生まれてしまって瓦解してしまうわけですね。


でもパンクスは瓦解してしまうのですが、それを見ていた人たちがまた5年後、10年後に地下系の新しい音楽をやって、というサイクルが延々と繰り返されるんです。「お前らは違う、ただの権力者だ、俺たちが今の言葉だ」って主張していたのが、有名になって、自分たちが権力者になっちゃうっていう構図が、めちゃくちゃイイ。自分が責めた対象になっちゃうという、そこで葛藤があるんですよ。


じゃあ有名にならずに、成功せずに「分かるやつだけ分かる」って活動していればそれでいいのかっていうと、いやそれは違う。成功していろんな人に見てもらわないといけない。かといってそうなると権力を持ってしまう……っていうどうしようもなさ。このどうしようもなさが何か、人間の限界って感じでいいですね。


――批判していたものに自分がなり替わってしまう、その下の世代がまた批判して.......というサイクルに魅力を感じているんですね。


Achamothさん:

そうなんです。そしてこれはロック音楽の文脈で話してきましたが、必ずしもロック音楽だけの話じゃないわけですよ。たとえば昔にさかのぼると美術の世界でも、ロックほど激しくなくても同じようなサイクルがあります。ゆるやかだけど映画だってそういう動きがあるわけだし。何なら今私たちが作ってるゲームだってそういう面がきっとあるわけで。インディーゲームはもしかしたら、ロック音楽でいうパンクスのどこかのタイミングに今いるのかもしれない、と思うこともありますね。


そういうときに「じゃあ大きくなって権力を持ってしまったとき私たちはどうするのか」と振り返るわけですよ。「人間の限界って感じが可愛くて萌えるよね」というだけではなく、歴史の勉強から未来予測もできるんですよね。最終的には「自分が今やってることはロック音楽でいうどこなんだろう」って振り返ることで、「じゃあきっとこのままいくと歴史的にはこういう展開が起こるであろう」っていう候補がいくつか浮かび上がる、というのがまた面白いですね。じゃあそれでパンクスは瓦解しちゃったから、どういう風に自分たちはやっていったらいいんだろうと考えたりもします。


――かつてパンクスが抱えていた葛藤を、インディーゲームの現状にも重ね合わせているわけですね。


Achamothさん:

結局ロック音楽が必要な子ってライブハウスにいけるような不良じゃなくて、親に隠れて泣きながらテレビを観てるような少年少女なんだから、ロック音楽をやっている側はテレビに映らなくちゃいけないんだよな、とか。でもテレビに映ると権力持っちゃうんだよな、とか。そんな風にやってたのが10年経って、パンクスの次の時代にはオルタナティブロックが同じようなことをするんですよ。で、音楽性が洗練されて、かつ規模も大きくなってみたいな様子を見ていると、嬉しくなっちゃいますね。10年前の若者がうじうじやっていたことを、10年後の若者が代わりにまた繰り返すんだっていうところが。




逆説的にいえば「この権力を壊してやろう、新しいことをしてやろう」っていう勢いはきっと永遠に繰り返されてなくならないんだなあ、っていう感慨がまたちょっと嬉しいですよね。オルタナティブの後はニューメタル、KoЯnとかが出てきて。でもここから先はインターネットが出てくるからロックだけの話じゃなくなってきて、ダンスミュージックもラップもヒップホップも関わってくるからもう手に負えないって感じです。でもそんな感じで違う音楽ジャンルと影響を及ぼして、さらに規模が大きい次の文化を作っていくっていうのもまたいいですよね。


――このお話だけでも大河ドラマを1本観たようなボリュームですね。


Achamothさん:

そう、大河ドラマに近い壮大な文化の浮き沈みがあります。でも文化目線で観ると壮大なんですけど、たった1人の人間に注目して見ると青春の1ページに過ぎなかったり。バンドマンなんかは早死にしたりしますから、誰かバンドマンが死ぬまでの物語だったり。もしくはとある女の子がオシャレな服やメイクをして着飾るお話だったりして。1つの文化史として見ると大きいけど、個人個人で見るといろんなお話が1つ1つ小さな物語として存在するっていうのがやっぱり面白いですね。こういった歴史を学ぶと、最終的には自分はどういう流れの中にいたんだろうっていうのを考えたりして。自分を振り返ったり、じゃあこれから先どんなことが起こるんだろうって考えたりする礎にもなるから、そこもまた面白いですね。


もしくはもっと知識が深まったら、全然違う生き方をした誰かのことが分かるきっかけになるかもしれないですよね。たとえばスポーツが好きで人とおしゃべりするのがすっごい好きな、自分と全然違う人。もし文化史の知識が深まったら、そういう人がどういうことを考えているのかっていうのも分かるかもしれないし。突き詰めると世界平和につながりそうな気がしますよね(笑) 


――違う時代の文化を知ることで、他者への理解が深まるわけですね。


Achamothさん:

今ってお年寄りのことを簡単に「老害が~」って言っちゃったりするじゃないですか。でもこうやって昔の歴史、特に文化史やポップカルチャー史を知ってると、彼らもまた若者だったときどんなものを見てたのかって知れるんです。で、大体さっき言ったみたいに結局パターン化されてるんですよね。お年寄りも若者のときは私たちと変わらなかったんだなあって思うと、たとえば「老害」って一刀両断するんじゃなくて、その人個人を見られるきっかけになるなあって思います。世代の壁を超えられそうな気がしますね。


で、しばらくアメリカ、イギリス、日本で調べてたんですけど、最近はそれを中国美術の方面も調べ始めたんです。こうやって文化史の方面から見ると、互いに影響を与えてたんだなあっていうのが分かったりして。国の壁も超えられそうな感じがしますね。やっぱり世界平和につながると思います。





Achamothさんの『触手を売る店』はiOS/Android向けに配信中です。また、Achamothさん のフリーゲームはふりーむにて配信中です。


この記事を書いた人

  • 記者:ササン三(room6)

  • 校正:fukushima(room6)

  • デザイン:高市(room6)

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