精神に病を抱える主人公を描くビジュアルノベル『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』。2020年にリリースされた同作は、のちに発売された続編『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』とあわせて大きな支持を得ています。その開発者であるNikita Kryukov(ニキータ・クリュコフ)さんはロシア出身ですが、縁あって今は日本の東京在住。お話を伺い、ディープな創作の裏側についてお聞きしてきました。
※このインタビューは英語によって行われ、後日編集部で日本語訳対応を行ったものです。
―― 自己紹介をお願いします。
Nikitaさん:
ゲーム開発者とミュージシャンとして活動しています、Nikitaです。ロシア出身で、今は東京に住んでいます。
――東京に引っ越してこられた理由は何でしょうか。
Nikitaさん:
日本語に興味があったんです。日本に来る半年前にオンラインで日本語の勉強を始めたのですが、実際に言語が話されている国に行ってしまう方が勉強の近道になると気づいて、日本に来ました。もうひとつの理由として、自分は主にビジュアルノベルを作っているというのもあります。いま私は新しいゲームを開発しているのですが、ビジュアルノベルというジャンル自体が日本発祥なので、このタイミングにビジュアルノベルが誕生した土地で制作をすることは自分にとってすごく意味があることでした。
――日本のビジュアルノベルで影響を受けた作品はありますか。
Nikitaさん:
虚淵玄さん(※1)のゲームにライティング面で影響を受けていますね。特に『鬼哭街』(※2)という作品は私にとって特別です。ロシアでも虚淵さんのゲームはとても人気があるんです。とてもリスペクトされています。
(※1)虚淵玄さん
日本のゲームシナリオライター、小説家、脚本家で株式会社ニトロプラス取締役。数多くのゲームやアニメの脚本を手がけている。
(※2)『鬼哭街』
2002年にニトロプラスから発売されたPCノベルアドベンチャー。近未来の上海を舞台に、妹の仇を討つため戦う暗殺者を描く。
――日本ではNikitaさんのファンもたくさんいます。実際にそうしたファンに会ったことはありますか。
Nikitaさん:
秋葉原で開催されているTokyo Indies(※3)に参加して、私のゲームを知っている人に会ったことはあります。すごくありがたい数の人にゲームをプレイしていただいていますね。でも最初にイベントに出たときはあまり日本語が話せなくて、せっかく話しかけていただいても「ありがとうございます」くらいしか言えなかったんです。今では少し日本語が上達したので、京都のBitSummit Driftではファンの方とお互いの意見や感想を交換したりしました。
(※3)Tokyo Indies
都内で開催されるインディーゲーム開発者向けのイベント。月に一度、個人ゲーム開発者が集まり、お互いのゲームを見せ合いつつ意見交換することを目的とする。
――日本に来たからこそのご経験ですね。さて、そもそものお話になりますがビジュアルノベルを作り始めたきっかけは何でしょうか。
Nikitaさん:
私はこれまでの人生をずっとミュージシャンとして活動してきました。9年間音楽学校に通ったあと、大学でも5年音楽を学びました。プロフェッショナルとして活動してきましたが、ある時点でゲーム開発にすごく興味を持ち始めたんです。でも自分でプログラミングをすることには耐えられなくて。そんなとき『ひぐらしのなく頃に』(※4)や『STEINS;GATE』(※5)などを通じて、ビジュアルノベルというジャンルを知りました。私は趣味で物語を書いたりすることがあったので、自分のストーリーライティングのスキルを使って最低限のプログラミングで、人に遊んでもらえるような製品を作れることに気づいたんです。ゲームを作りたいというよりは、ストーリーを作りたいという思いが強かったですね。
(※4)『ひぐらしのなく頃に』
同人サークル07th Expansionが開発したサウンドノベル。寂れた村落で起こる連続怪死事件を巡るサスペンスが展開される。2002年から2006年のコミックマーケットで頒布され、のちに商業作品として多数のメディアミックスがおこなわれた。
(※5)『STEINS;GATE』
5pb.(現・MAGES.)より2009年に発売されたアドベンチャーゲーム。現実に存在する科学的事象を物語の骨格として、偶然タイムマシンを発明してしまった主人公たちをめぐる「想定科学アドベンチャー」を描く。
――物語を作りたい欲求が創作意欲の根源にあるんですね。
NIkitaさん:
最初に作ったビジュアルノベルは、セーブやテキストスキップなどのゲームらしい要素を排除して、ただテキストを読み進めるだけの作品にしました。そうしたら多くのプレイヤーに怒られました(笑)でも、それが自分のオリジナルスタイルですね。新しい『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』(以下、『Milk 1』)、『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』(以下、『Milk 2』)でも最小限のゲーム要素だけ入れて作りました。ゲーム体験としては快適ではないかもしれませんが、それが私のスタイルです。
――物語体験を重視したNikitaさんの作品のルーツが垣間見えました。それでは、今お話に出てきた『Milk 1』と『Milk 2』について教えていただけますか。
Nikitaさん:
『Milk 1』は主人公が牛乳を買いに行くお使いを見守るゲーム、『Milk 2』は主人公がお使いから帰ってきたあとを描いたビジュアルノベルです。
短く説明するとしても『Milk 1』と『Milk 2』は非常に異なっているので、別々に分けてお話しますね。1作目は、「どこにもないようなゲーム」です。実ははじめはジョークとして作っていて、コンテスト向けの作品でした。内容としては、見たくないものや心地よくないもの、体験したくないことを詰め込んでいます。開発中のリサーチでさまざまな障がいをもつ方のお話を聞いたり、自分の体験から得たことを活かしていろいろな視点からいろいろな体験をできるゲームにしました。
2作目については、一言で言うと「空間」です。自分が存在できるスペースですね。終わらせないといけない目的もないし、90%……いや、100%の出来事が1つの部屋の中で完結します。しかも一連の出来事に対して、プレイヤーはあまりインタラクトできないかたちになっているんです。特に「これをしないといけない」ということがないゲームですね。短くまとめると、1作目は「体験」であるのに対して、2作目は好きなことをできる場所で、たまたまメインキャラクターがそこにいるという「空間」なんです。
――ありがとうございます。素朴な疑問ですが、『Milk 1』と『Milk 2』の主人公は外見的には少女のように見えます。こうした人物を主人公に選んだのはなぜですか。
NIkitaさん:
いい質問ですね。『Milk 2』をリリースしたあとファンからさまざまな考察が出てきて、主人公はジェンダー上の問題を抱えているとか、主人公はトランスジェンダーであるという説が出てきました。皆さんの考察について私は肯定も否定もできません。また表現の技術として、女性を主人公にすることで読者に共感してもらいやすくするという手法もありますが、そういったことも意識していません。
私が言えることは、『Milk』シリーズでは主人公を通して私の体験を伝えているということです。私がいつもお話を書いているときや読んでいるとき、映画を観ているときなどは、女性のキャラクターに共感することが多いんですね。なぜそうなのかは自分でも分かりません。『Milk』シリーズでは私が体験したことや主人公の苦悩が描かれているわけですが、自分の感じ方がたまたまそうだったという理由で、あのようなかたちの主人公になっています。
――Nikitaさんの感性のあり方にもとづいているんですね。物語を書くとき、そうした心理面を反映したキャラクターの精神的な状況をどのように構築していますか。
NIkitaさん:
『Milk 1』と『Milk 2』ではやり方が違いますね。『Milk 1』では私が見聞きした障がいをもつ方々の印象や、自分の体験・パーソナリティから閃いたものがベースになっています。逆に、『Milk 2』では外からのリファレンスを遮断して、自分の中で作り上げているんです。ストーリーを先に作って、そこに機能するキャラクターを置いていくかたちですね。そうすることでキャラクターが勝手に動いていきます。最低限、創作するときのルールに則って作っているんです。
――Nikitaさんは「ストーリーが先」派だったんですね。まるで夢の中のような現実のような世界観が特徴の『Milk』シリーズですが、日本のゲーム『ゆめにっき』(※6)から影響を受けていると聞きました。詳しく教えていただけますか。
NIkitaさん:
『ゆめにっき』からはすごく影響を受けています。『ゆめにっき』の「いろいろな世界を旅できる」という要素を、「テキストだけ」というスタイルで複製できるか試したかったんです。『Milk』シリーズはゲームではありますが、複雑な操作やテクニックを要求される要素はありません。自由に動けるわけではないけれど、いろいろな世界を体験できるところがチャレンジングだと思ったんです。私は『ゆめにっき』の世界に浸ることがすごく好きで、同じような体験を違う語り方で体験してもらいたいと思ったのが大きな影響ですね。
音楽面でも強い影響を受けています。『ゆめにっき』はすごく短いフレーズを何度も何度もリピートしていることが特徴なんですよね。サウンドトラックも聴いたのですが、何度も同じ曲が流れているのに、頭の中でだんだん変化して聴こえてくるように感じるんです。でもそれって、頭の中で錯覚しているだけだと気づいたんですよ。主に影響を受けた点をまとめると、自分が感じた体験を、違うメディアで体験してもらいたかったということになります。
(※6)『ゆめにっき』
日本の開発者ききやま氏が2004年にリリースしたフリーゲーム。『RPGツクール2003』で制作されているが、一般的なRPGに見られる戦闘などはなく、夢の中の世界をひたすら歩き回るウォーキングシミュレーターのような作風が特徴。パブリッシャーPLAYISMによってSteam版が2018年より配信されている。
――『ゆめにっき』を遊んだあとで『Milk』シリーズを遊ぶと新たな発見があるかもしれませんね。ここまでお聞きして、Nikitaさんの頭の中には非常に複雑な『Milk』シリーズのコンセプトがあるのを感じました。でも『Milk 2』はチームで協働して作られたんですよね。
NIkitaさん:
『Milk 2』について主に協働したのは、メインのアーティストですね。それから、セカンドライターもいます。さらにゲストのアニメーションアーティストやコンポーザーに参加してもらっています。
――Nikitaさんのなかにあるゲームのコンセプトを、メインスタッフやゲストスタッフの方々にどうやって共有したのでしょうか。
NIkitaさん:
まずアニメーションや作曲などを担当してくれたゲストスタッフに関しては、リファレンスとなる要素を少し伝えただけでコンセプトを理解して作ってもらっています。
でもメインスタッフに関しては自分が一緒に働くのであれば、100%一緒に理解して共感してくれる人でないと不可能ですね。私が伝えたいことを完全に理解してもらえないと難しいです。コンセプトを共有するときは特に公式なドキュメントがあるわけではなくて、ひたすら会話を通じて伝えました。ゲーム本編よりも長く説明するくらいですね。もし一緒に働いてくれる人が意欲をもってくれるとしたら、何時間語ることになろうと喜んで話します。逆に相手が興味をもってくれない場合は、どんなに技術のある良い人であろうと一緒に働くのは無理ですね。メインスタッフとは、友達になるくらいじゃないとやっていけないです。ウザがられるくらい密接に連携しました(笑)
クリエイティブの源泉、そして新作の「壁」
――Nikitaさん自身のことについても伺っていきたいと思います。Nikitaさんが人生で影響を受けた作品を教えてください。
Nikitaさん:
難しいですね(笑)それぞれのメディアについて1つ挙げようかな。影響を受ける作品はいつも変わるので、今この瞬間に影響を与えている作品を言いますね。まず私の趣味は写真なのですが、ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキー(※7)の作品から多くのインスピレーションを得ています。
(※7)アンドレイ・タルコフスキー
20世紀に活躍した映画監督。『惑星ソラリス』などを製作した。
――なるほど。Xでもよく写真を公開されていますね。
Nikitaさん:
音楽については、毎日違う音楽を聴いているのでこれというバンドやアーティストを挙げるのが難しいですね。すべてを語るとめちゃくちゃ長くなります。ロックならRadiohead(※8)、エレクトロならAphex Twin(※9)でしょうか。あとはDeftones(※10)ですね。
(※8)Radiohead
イギリスのロックバンド。ポスト・ロックやオルタナティヴ・ロックをベースに多彩な要素を混在させた音楽性が特色。
(※9)Aphex Twin
イギリスで活動するミュージシャン。テクノ、アンビエント、エレクトロニカなど多岐にわたるジャンルの音楽を展開する。
(※10)Deftones
アメリカ出身のオルタナティヴ・メタルバンド。ニュー・メタルからエクスペリメンタル・ロックなどに分類される。
――映画界、音楽界から影響を受けているんですね。ゲームに関してはどうですか。
Nikitaさん:
今は自分の作品を作るために生きているので、ゲームはそれほどよく遊ぶわけではないのですが、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』と『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』にすごく影響を受けました。デザインやストーリー、ゲームプレイやキャラクターなど、ほとんど完璧だと思っています。普段は長いゲームがあまり好きではないのですが、これら2作については特別でしたね。
――それでは、ご趣味を教えて下さい。ただし「残りHP100のときに打ち込む趣味」「残りHP50のときに楽しむ趣味」「残りHP1のときにする趣味」に分けて教えてください。
Nikitaさん:
メインの趣味は写真ですね。このインタビューのあとにも撮影に行こうと思っているんです。星や月といった夜空、風景を撮っています。カメラと三脚はかなり重いので、これが元気なときの趣味かもしれないですね。まあまあなときの趣味は散歩です。日本の風景が好きで公園や町、居酒屋エリアなどいろいろな風景が好きなので、時間があるときは1時間、2時間と歩き回っています。ほかに何もする気がないときは絵を描いたりしています。今は基本を学んでいるところで、見たものを描き移すことを書籍から勉強しているところです。テーブルにあるものを描いてみたりするんですが、基礎知識がないと難しいので、本を参考にしていますね。
――ありがとうございます。最後に、気になる新作について教えてください。以前から、Nikitaさんが『1000』というタイトルの新作を開発していることが伝えられています。現在、『1000』の完成率は何パーセントくらいでしょうか。
Nikitaさん:
Xで言った通り『1000』は2作の連作になる予定なのですが、1作目の方はストーリーがすでに完結しています。ただ、それ以外のすべてが大きな問題に突き当たっているんです。アートのディレクションについてですね。ゲームをどのように見せたらいいのか決めかねていて。ここ2か月半の募集で多くのコンセプトアートが集まったのですが、まだどれもしっくりきていないんです。アートディレクションについて問題を抱えている一方で、音楽に関しても大きなハテナが浮かんでいる状況ですね。自分で作曲するのか、誰かに手伝ってもらうのかまだ決まっていないんです。音声についても日本語でボイスをつけたいと思っていて、考え中です。
もし私が「このゲームをこんな風にしたい」という方向性を見つけることができれば、おそらくすべてうまい具合にいくと思っています。一番難しいと感じているのは、『Milk 2』を作ったときからかなり規模が変わっていて、同じように作れないことですね。いろいろな人全員と友達になるわけにはいかないので。比べようもない規模なので、やり方について正直なところ迷っている部分があります。もっと経験のある人に相談して制作についてのやり方のアドバイスをもらいたいと思っています。
余談ですが『1000』というタイトルをどのように翻訳するのかも悩んでいます。1000は日本語で「せん」と発音しますが、主人公の名前も「セン」なんです。少し言葉遊びを入れたいと思っています。
――『1000』の開発はNikitaさんご自身にとってもチャレンジングなんですね。ずばり、『1000』が前作と最も違うところは何ですか。
Nikitaさん:
『1000』は、今まで私が作ってきたゲームのどれとも違うゲームになっています。いろいろなファンタジーの世界が出てきて、キャラクターも数多く登場します。キャラクター同士のやりとりを通じて関係性を深く描くこともしています。従来の作品とはまったく違うものができそうで、ぱっと見、私のゲームだとは気づかれないくらいだと思います(笑)
とはいえ私のゲームなので、自分らしさは出ていると思います。たとえばテーマやライティングのスタイルなどですね。ただのファンタジーではないです。
――楽しみです! ありがとうございました。
NikitaさんのゲームはSteam、itch.io、Nintendo Switch向けに配信中です。
この記事を書いた人
聞き手・編集:ササン三(room6)
校正:fukushima(room6)
デザイン:高市(room6)
通訳:Animo